観音寺の伝統菓子を味わう
米屋 井下製菓 “遊々椿”
菓子工房
Japanese sweets
ゆうゆうつばき
遊々椿
七色のパステルカラーの米菓子
“おいり”
米屋 井下製菓(菓子工房 遊々椿)は、明治初期創業。 観音寺では一番古い菓子店です。 先祖・米屋庄兵衛(米庄)の名を受け継ぎ、今も屋号を「米屋」として守り続けています。 四国八十八ヶ所・観音寺と神恵院の門前町として栄えたこの地で、 ふわりと軽い香川の伝統菓子が、旅のひと時をそっと彩ります。 どうぞ、みんなが幸せになれるやさしい味わいをお楽しみください。


明治初期よりこの地で味を紡いできた、由緒ある菓子店さん。インタビューに行ってきます!!

丁寧な受け答えの中に、みなさんの誠実な人柄と菓子づくりへの真摯な姿勢がにじむインタビューでした。

記念撮影♪

おいりの作り方や、菓子づくりに込められた想いを、お聞きすることができました。

遊々椿
菓子工房 遊々椿(米屋 井下製菓)は、創業明治初期。天正15年(1587年)頃、香川県の西(西讃)の城主、生駒公の姫君のおこしいれの際に、城下のお百姓がお祝いにと五色のあられを煎った物を献上したことに始まったのが「おいり」です。
四代目・井下さんに、観音寺で長く愛されてきた「おいり」や伝統菓子に込められた歴史や由来、そしてお店の魅力や日々の思いについてお話を伺いました。
おいりの歴史
江戸時代とご先祖

昭和9年の観音寺を描いた古地図。
三架橋(日本百名橋に選ばれている、市内で最も美しい橋)の周辺には芸者の置屋や芝居小屋が並び、当時のまちを彩る華やかな娯楽の中心地として賑わっていました。

古地図には「井下菓子店」の名が記されています。
その文字からは、長く地域に親しまれてきた店の歴史と、当時のまちの息づかいが静かに伝わってきます。

初代・井下利吉氏の時代に使われていた大福帳(江戸時代から明治期にかけて商家で使われていた帳簿)明治三十五年頃の帳面が数冊残り、その一冊は昭和四十八年の家屋解体時、天保十二年築の梁から見つかった貴重な資料。

利吉氏は菓子の修行のため大阪へ通い、鉄道のない時代には港から船で向かったと考えられています。大福帳には港の船主の名が記され、明治の新しい時代を生きた職人の志が感じられます。



淡い桃色、空色、若草色。祝いの色をまとう「おいり」は、訪れる人の心にそっと幸せを灯す観音寺の伝統菓子です。
想いがつむぐ、観音寺のやさしい伝統お菓子
インタビュー


日本全国に発送されていました♪
インタビューを終えての感想
Interview
おいり作りの大変さや、細部までデザインへのこだわりが込められていることを知りました。
完成までに10日から2週間ほどかかり、失敗すると一から作り直すと伺い、その手間と技に驚かされました。
改めて、観音寺の伝統菓子である「おいり」の魅力を感じました。
店内に並ぶカラフルなおいりはどれも可愛らしく、見ているだけで心が弾む空間でした。
貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。











